初代(80式電光掲示板) | |
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三木氏(31期生)プロデュース。 当時、パソコンなど高校生の手に届くものではなく、当初、TTLのロジックで組むか、 Z80のワンボ-ドで組むかいろいろ考えましたが、予算の関係で総手動のものになってしまいました。 歌合戦であまりにも好評だったために次の年には予算がついて、 市原氏(59年卒、次代部長)が2代目への改修を施工しました。 初代のオペレ-トには、マトリクス表など柔なものを使ってません! 北野氏(同じく31期生)が特訓の末、数字を聞いただけで瞬時に入力できる技能を習得しておりました。 |
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<製作年> 1981年(昭和56年)? <製作者> 高橋氏(30期生) 三木・北野・高橋(成)氏(31期生) <仕様> ・電球(1セグメント当たり3個×7×3桁、計63個) |
2代目(時間表示対応) | |
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初代と比べて、「どうしても3桁で表示できない時間がある、時計っぽくない」
という不満がわれわれ部員の中で爆発し、
何とか時計として見栄えのよいものを、ということで行動が開始されました。 4桁にするにはスペースがないので、時計として最低限必要な時間の十の位“1” だけを一番左端のスペースに追加し、 また、時計っぽく見せるための“:”を追加しました。 コロンの点滅には、“キャバレー電通”で使われていたのと同じ回路を使いました。 1秒感覚で光っているわけではありませんでしたが、それなりに時計に見えるようになりました。 そして、文化祭当日。 体育館で、何度か時計の表示を実践していたのですが… 明るすぎるとのクレームが出てやめざるを得なかったのでした。 |
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<製作年> 1982年(昭和57年)? <製作者> 市原氏(32期生) 平尾氏(33期生) <仕様> ・電球(63+8、計71個) ・ロータリースイッチ |
3代目(制御盤更新) | |
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山下氏(34期生)が放送部の旧制御卓を利用したバージョン。 これにより、完全に「ベテランオペレーター」が不用になった。 制御部は「配線剥き出しつや消し黒塗装鉄板」にセグメント型に スライドスイッチを並べ、そこにリレーを貼り付けていた。 | |
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<製作年> 1983年(昭和58年) <製作者> 市原氏(32期生) 山下氏(34期生) <仕様> ・電球(68+7、計71個) ・制御盤 |
3代目までは同一のハードを使用 全回路100V駆動というホットで危険な装置でした。 |
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4代目(発光ダイオード使用) | |
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高津氏(37期生)プロデュース。 オレンジ色の発光ダイオードを用いた。が、途中で製作を断念。稼動することはなかった。 | |
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<製作年> 1988年(昭和63年)? <製作者> 高津氏(37期生) 小松氏(39期生) <仕様> LED(橙色、数は不明) |
5代目(制御用コンピューター使用) | |
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基盤は田中氏(36期生)、太郎本体は41期生を中心に作製された。
マイコン(パソコン)から太郎へ通信ケーブルを接続することによって遠隔操作が可能となり、
点数表示だけでなく文字表示(曲名・エントリー名)もできるようになった。 当初はPC-6601(唄うパソコン)で制御を行っていたが、後にPC-8801へ移植された。現在は倉庫に保管されているはず。 |
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<製作年> 1990年(平成2年)夏 <製作者> 田中氏(36期生、基盤提供及び技術指導) 佐藤・本田・神代・山本・西口・内山・井尻氏(41期生) <仕様> ・LED(緑色、128×32個) ・マイコン(パソコン)間通信インターフェース (PC-6601、PC-8801ともに拡張スロットに接続) ・文字スクロール機能 ・アニメーション機能 <ソフトウェア移植:PC-8801対応> 佐藤・小玉氏(41期生) <備考> LEDはデジットで購入 |