Legend of TECC

でんつうネタ話

屋上の話
調理器具
こんな使い方
黒板消し事件(別掲)

「屋上の話」
海抜高約80m、アンテナの位置からは少なくとも100m。
舌状台地の突端に位置する我が母校。東は二上山、大和葛城山に金剛山。 日の出が山からなので、辺りが明るくなってからのご来光になり、少し感激がなかったです。
南は桃大と住宅地、西を見れば大阪湾が輝き、その先には淡路島、四国が望めました。 北は大阪市内の高層ビルから山地まで。電波伝播上360度全開状態です。
屋上からの風景


1号館から3号館まで、この高さを生かして、当時の電通では、「アマチュア無線」 のアンテナを縦横に張り巡らしました。5号館を除いて、全部の校舎屋上を踏破 したのは事務員さんでもまずいなく、当時の電通部員位でしょう。 しかも例のセッタで。実は、場所によって割と危険ではありました。

コンテストになると、「ローテーター」と言うアンテナを回す機械がほとんどないので、 アンテナの方向を変えるのは専ら後輩のお仕事でした。
ほとんど2号館、少し3号館の事ですが、暑い日も寒い日も、 田舎の学校らしく本当に真っ暗な夜中も、寒くて徹夜明けの寝ぼけた朝でも、 屋上まで行っては電灯を点けて、ぐりぐり、どりゃどりゃ、と向きを変えたものです。

同軸ケーブルでの電波のロスとか、いろんな手間を考えて、インターハイでは、 何と、2号館屋上で無線運用した事もあります。強風が無線業務日誌を何度もさらいました。 電気ストーブは何の役にも立ちませんでした。
アンテナを立てる時に、地学部の風向風速計によくアンテナ機材を当てました。 一度、地学部顧問の森先生に指摘されました。
屋上の鍵は確か、顧問の先生か地学部顧問の先生に言って借りたと思います。 ヒミツの解錠の荒技もありましたが、在校生が真似するといけませんので、公表しません。

(32期 市原)
アンテナその2

「調理器具」
 電通には「電気湯沸かし器」「電熱器」等と言った調理器具がありました。
ひょっとしたら今の時代の方は、「そんなものを部室で使って良いの?」と思われる方もおられるかも知れませんが、 当時は他のクラブにもいろんな電化製品はありましたし、 顧問の先生方も利用されてたのですよ。基本的には生徒に全て任されていたのです。 と言いますと聞えはいいですが、放任と言うのが実態だったのでは、と思います。

 うちのクラブでは、アマチュア無線のコンテストの時に、食事をするために特に必要でした。 炊飯器も検討していたのですが、女性部員の反応がいまいちだったので、見送りました。 水道場の水を沸かし、正門を降りたところの店の、カップラーメン(キツネ大吉三枚目)や、 裏門から南へ行ったところのスーパー等から買って来たヤツを美味しく思って食べたものです。 過酷なコンテスト中に、あんなものばかり食べて良く胸焼け等しなかったのは、やっぱり若かったからでしょう。 ラーメン鍋を持って来て、袋ラーメン等も食べた様に思います。眠気との戦いでもあるコンテストには、 粉コーヒーも大切でした。

(32期 市原)

「こんな使い方」
 コンテスト以外の普段の部活にも、これらの調理器具は大活躍しました。 やっぱり、部活中に自分で沸かして飲むコーヒーやお茶は、安くて美味しい ものです。

 電熱器には隠れた裏技がありました。アルミの弁当箱を直に置いて加熱 すると、大変美味しく弁当が食べられたのです。昼休みにも、何となく集ま っていて、したい人は無線の交信等の部活もしていた(時間により電波伝搬 の状況が違い、意味がある)私達も、冬はみんな電熱器を囲んで昼食を一緒 に取りました。

 電熱器は、調理の他に、工作している時に加熱が必要な時にも使っていま した。確か、あんまり無茶をするので、一度ニクロム線が切れました。先輩が修理していた様に思います。

 湯沸かし器は、私達の頃は、生物部等の人が良く借りに来てもいました。

(32期 市原)



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